2024年2月26日月曜日

ラムネの瓶はイギリスで発明されたの?

先日ケンブリッジ博物館に行った時に、おもしろいものを見つけました。ラムネの瓶です! 近年ゲームやアニメの人気とともに、日本の食料品も人気が高まり、いまやラムネもイギリスのスーパーで買える時代です。ガラス玉の入った独特の瓶は日本固有のものだと思っていましたが、なんと発明者はイギリス人。ハイラム・コッドという人です。

Ramune

ラムネの語源は?

ちなみに、「ラムネ」の語源は「レモネード」だってご存知でしたか?「lemonade」を英語の発音で言うと、確かに「ラムネ」と聞こえるのです! でも日本でレモネードというと、レモンの砂糖(蜂蜜)漬けを割ったもの。ラムネとは違うじゃない、と思われるかもしれません。でも、イギリスのレモネードは、日本でいうサイダーのことなのです。つまり、イギリスのレモネードとラムネは基本的に同じものです。

 

イギリスのレモネードも、もとは日本のレモネードと同じでした。フランスからイギリスに、レモンの砂糖(蜂蜜)漬けを割ったレモネードが紹介されたのは、17世紀だと思われます。OEDによると、最初に英語でその言葉が使われたのは1664年です。英語辞典の編集で知られるサミュエル・ジョンソン(17091784)もその飲み物のファンでした。

 

炭酸水の誕生

18世紀後半には炭酸水を人工的につくる方法が確立されました。以前にライムが水兵の壊血病対策に使われるようになったと書きましたが、炭酸水も壊血病にきくと思われていたようです。効用があるとされる自然に湧く炭酸水からヒントを得て、最初に炭酸水を商業的に、でも薬として生産したのはトーマス・ヘンリーで、1770年代のことでした。そして、シュエップスが1802年までにロンドンで本格的な工場生産を始めました。

 

炭酸水の瓶

炭酸水が商業的に作られ始めると、それをどう瓶詰めするのかが問題になりました。最初は陶器に入れられましたが、まもなく壁から炭酸が逃げてしまうことがわかり、ガラスが使われるようになりました。コルクで蓋をするのがそれまでの方法でしたが、コルクは乾くと縮み、そこから炭酸が抜けてしまいました。

 

そのため、1809年にウィリアム・ハミルトンがコルクが乾かないビンを考案しました。日本では「きゅうり瓶」と呼ばれる卵形の瓶は、この瓶が絶対に立てて保存できないようにデザインされています。瓶が横になっていることでコルクが常に湿っている状態にするのです。保存に場所をとる、そして転がるという難点はあったものの、20世紀初頭まで使われていたようです。

Hamilton Bottles

 

1870年にはハイラム・コッドがコッド瓶で特許を取得します。ラムネ瓶の原型です。内蔵されたガラス玉を、炭酸ガスの圧力で押し上げて栓をします。この瓶は一世を風靡しましたが、ガラス玉を目当てに子供達が瓶を割ったりしたようです。こちらは1930年ごろまで使われていたようです。

Codd Bottles


炭酸レモネード

さて、レモン風味の炭酸水であるレモネードは19世紀に入ってから作られるようになりました。当初はクエン酸、シュガーシロップ、そしてレモンのエッセンシャルオイルを加えて作られていたようです。1840年代にはいわゆるイギリスのレモネードは50社以上で作られていたようです。この頃までには、炭酸水は薬用でなく、広く一般に飲まれるようになりました。

 

現在最も有名なイギリスのレモネードブランドR.White’sも、1845年にレモネード市場に参入しました。

 

1951年の万国博覧会ではお酒が禁止されたこともあり、シュエップスは会場でのソフトドリンクの独占販売権を獲得。世界にレモン風味の炭酸水を知らしめました。

 

炭酸レモネードはいつ日本へ?

そのレモネードがコルク瓶に入れられて日本に最初に紹介されたのは、1853年にペリーの黒船が来航した時だったと言われています。この時はきゅうり瓶に入っており、シャンペンボトルのように、コルクが「ポン!」という音をたてて開くのを聞いた江戸幕府の役人たちは、発砲音かと思い、とっさに刀に手をかけたとか。

 

1860年にはイギリス船が長崎に炭酸レモネードを持ち込み、外国人対象に販売を開始しました。

 

国産ラムネの誕生

1865年には長崎の藤瀬半兵衛が初めて国産の「レモン水」を製造販売し、187254日にには東京の千葉勝五郎が「ラムネ」として製造販売を開始。そのため、現在54日が「ラムネの日」となったそうです。

 

1887年にイギリスからコッド瓶を輸入し始めますが、1892年には大阪の徳永ガラス工場が、初めての国産瓶の製造に成功。国産瓶は輸入瓶よりも質が良く、イギリス人もびっくりしたそうです。そして日本でラムネ瓶が大流行しました。

 

サイダーとラムネの違い?

ちなみに、現在サイダーとラムネの違いは瓶だけのようですが、明治時代にはサイダーはリンゴ風味で、ラムネはレモン風味だったようです。前回お話ししたように、英語でサイダーというと林檎酒のことを指すので、納得です。リンゴ味のフレーバーの方が値段が高かったため、王冠栓の胴長丸形瓶に入ったサイダーの方が高級品、コッド瓶に入ったラムネは庶民の飲み物として扱われていたようです。

 

イギリスへ逆輸入

コッド瓶は、イギリスでは1930年ごろには王冠の瓶にとってかわられ、最近では全く見ることもありませんでした。でも、それから100年近くたって、日本から逆輸入されているのを見ると、不思議な気がしますね。

 

 

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Q:水飲み場はいつできたの?


 

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<参考文献>

Boswell, James, 1785, The Journal of a Tour to the Hebrides with Samuel Johnson (Blackmask Online)

Conlin Casella, Eleanor, Nevell, Michael, Steyne Hanna, ed., 2022, The Oxford Handbook of Industrial Archaeology (Oxford University Press)

Emmins, Colin, 1991, Soft Drinks: Their Origins and History (Shire Publications Ltd)

H.M. Stationery Office , 1870, English patents of Inventions, Specifications 1870, 3048-3100 (H.M. Stationery Office)

Future Museum

Museum of Cambridge

Oxford English Dictionary

R.White’s Website

 

清涼飲料よもやま話

全国清涼飲料協同組合連合会Webサイト

トンボ飲料Webサイト

ハタ鉱泉株式会社Webサイト

 

2024年1月22日月曜日

Q:ワセイルって何?

先日「Lord of Misrule(クリスマスの祝宴を仕切る道化師)と一緒に2024年のワセイル(wassailに参加しよう」というイベント広告を目にし、ケンブリッジの南にある村まで行ってきました。「何世紀も前には、ワセイリングはりんごの木にできるだけ多くの果物がなるようにお願いするもの」だったそうです。

 

ワセイリング

場所は小さなりんごの木が20本ほどある小さなコミュニティ果樹園。当日はバスが遅れたせいでイベントの冒頭を見逃してしまいました

 

私が着いた時には、ちょうどスパイス入りのリンゴジュースにパン切れを浸し、それをりんごの木に結びつけているところでした。それをすることで鳥や昆虫が木に集まり、結果として土が改良され、りんごの木に栄養を与えるということらしいです。

wassailing


その後楽器を奏でる人たちを中心に輪になり、昔ながらのワセイルの歌を歌って踊りを踊りました。


 そして温かいスパイス入りのリンゴジュースをいただきました。

wassail

 

ワセイルの語源は?

さて、Oxford English Dictionaryによると、ワセイル」の語源は、古ノルド語の「ves heill」(健康を祈って/幸運を祈って)です。それが古期英語の「wes hál」になります

 

この言い回しが最初に記録されたのは、1140年ごろに書かれたジェフリー・オブ・マンモスによる歴史書です。以前にも紹介しましたが、5世紀に、ブリトン人宗主ヴォーティガン(Vortigern)は、スコット人やピクト人に対峙する為に、ヨーロッパからサクソン人を招きます。サクソン王の娘ロウィーナ(Rowena)は、ヴォーティガンに謁見した時に、ひざまづいて杯を掲げ「Lord King, Waes heil!(王の健康を祈って!)」と乾杯します。ヴォーティガンは杯を受け取り、サクソンの慣習に則り、「Drinc heil!(健康を祈って乾杯!)」と言って飲むと、ロウィーナのところに降りて行き、キスをして手を取りました。その微笑ましい様子にその場に居あわせたゲストが皆乾杯し、キスをして祝福したそうです。

 

これが書かれた12世紀当時から、ジェフリー・オブ・マンモスは史実を脚色したという説もあり、5世紀から「Waes heil」という言い回しが使われていたのか、それとも彼が執筆当時に使われていた表現を採用したのかは不明です。北欧人がイギリスに来た記録は8世紀以降になりますが、古期サクソン語と古ノルド語の間に似たような表現があったという可能性もあるのではないでしょうか?

 

ワセイルというクリスマスドリンク

ともあれ、少なくとも、12世紀以降には「ワセイル」が乾杯という意味を持つようになりました。14世紀ごろからはそれから派生して、お祝いの席で飲むお酒、特にクリスマス時期に飲む温かいスパイス入りのお酒という意味も持つようになりました。

 

ワセイルは、りんご栽培が盛んな地方ではサイダー(林檎酒)がベースに、その他ではエールがベースになっています。

 

領主の家では、その飲み物は大きなワセイルボウルに入れられ、人々に振る舞われました。ジョージ朝(1714年〜1837年)のあるレシピによると、エールが2.8リットル、シェリーがグラス4杯、少なくとも225gの砂糖、ナツメグ、ジンジャー、レモンを混ぜるとあります。そして、それに狐色にトーストしたパンを入れ、それを瓶に詰めて何日か置いて、発泡させるそうです。

 

16世紀には、大晦日と十二夜に、みんなで一つのワセイルボウルからワセイルを飲んで健康を祈るようになりました。

wassail bowl
17世紀のワセイルボールのコピー Oliver Cromwell's House

家々を回るワセイル売り

17世紀には、クリスマス時期(1225日〜16日)に家々を回ってワセイルを提供し、クリスマスキャロルを歌う人が現れました。当時の官僚サミュエル・ピープスの16611226日の日記には「a Washawall-bowle woman and a girl」が自分たちのところに来て歌ったという記述があります。もちろん、ただではなく、見返りを求めてです。

 

現在でも行われている、家々を回ったり、街頭で立ったりしてキャロルを歌い、チャリティへの募金を集める行為の原型です。

 

もともとは領主の家に、飲み物やミンスパイクリスマスプディング、もしくは金銭などを期待して、農奴たちがワセイルを提供し、歌を歌ったそうです。


 これが広まると、こんどは酔っ払った若者たちが家々に押しかけ、調子ハズレの歌を大声で歌って金銭を要求するようになりました。家の人が断ると、夜遅くに再度やってきて物を壊したりしたようです。

 

事実、「ワセイル」という言葉には酒盛りという意味もあります。1300年ごろからそういった意味で使われており、1603年に書かれたシェイクスピアの『ハムレット』にも「keepe wassel」という表現が見られます。

 

りんごの木のお祭り

さて、ではりんごの木の健康を祈る慣習はいつ始まったのでしょう?古くからのしきたりですから、いつ始まったのかは定かではありませんが、ケントのフォードウィッチでは1585年には記述が見られるそうです。また、1648年の記録によると、その地域、その果樹園により、りんごだけではなく、プラムや梨の木にも行われたようです。

 

私が行ったものは近年始まった地域のイベントで、子供が楽しめるように、昼間、ノンアルコールで行われましたが、もともとは、飲んで歌って踊る酒盛りだったようです。

 

地域によっても変わりますが、基本的に伝統的には、人々はワセイルボウルを持ち、ワセイル王や女王の後について果樹園から果樹園へ、木々にワセイルを振り掛けながら練り歩きます。選ばれた木に着くと、女王が担ぎ上げられ、ワセイルに浸けたパンを枝に取り付けます。残ったワセイルは木の根本に注がれます。そして人々は歌を歌います。楽器だけでなく、鍋釜をたたき、大きな音を立て、眠っている精霊を起こし、悪霊を追い出します。もちろん、人々のためのワセイルも用意され、飲んで歌って踊って夜を過ごすのです。


 今でも一部の地域では、ワセイルのイベントが、通常117日に行われます。これは、1752年にイギリスでグレゴリオ暦が採用される前には、十二夜は117日だったからです。

 

消えたワサイル

今や普段のイギリスの生活のなかで「ワセイル」という言葉を聞くことはなくなりました。クリスマスのドリンクとしても、20世紀半ばには「ワセイル」は死に絶え、マルドワイン(スパイス入りの温かいワイン)に取って代わられました。

 

人口が増え、人が代々の土地に住み続けることは少なくなり、それとともに伝統行事も消えつつあるのだと思います。でも反対に、私の参加したイベントのように、新しく伝統を導入しようという動きもあります。未来の世代のためにも、伝統が続いてくれるといいな、と思います。

 

 

 

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Q:「tea」って食事なの?

 

―――

 

参考文献>

 

Buckton, Henry, 2012, Yesterday’s Country Customs: A History of Traditional English Folklore (The History Press)

Geoffrey of Monmouth, translated and edited by Faletra, Michael A., 2008, The History of the Kings of Britain (Broadview Press)

Gray, Annie, 2021, At Christmas We Feast (Profile Books)

Pepys, Samuel, Latham, Robert, ed., 1985, The Diary of Samuel Pepys: A Selection (Penguin Books)

Williams, Thomas, 2017, Viking Britain: A History (William Collins)

Trumpington orchardウェブサイト

 

 



2023年4月11日火曜日

Q:魔女の瓶って何?

2022年に、ヨークシャーにあるカルヴァリー・オールド・ホールの改修工事中、その壁や軒の中から様々なものが発見されました。数も種類も、それまで各地で発見されたものより多く、考古学者を驚かせています。その中には、以前私もとりあげた使い古された靴や、「魔女の瓶(Witch’s bottle)」もありました。年代的には17世紀から19世紀のもので、魔除けとして使われたのではないかと考えられています。

 

魔女の瓶
魔女の瓶 Moyse's Hall Museum

 

カルヴァリー・オールド・ホールの悲劇

 

カルヴァリー・オールド・ホールはもともと14世紀に建てられた建物です。1750年代まで、カルヴァリー家の邸宅でした。実は、17世紀初頭に、ここで悲劇が起きているのです。

 

領主で家主のウォルター・カルヴァリーは、結婚もし、子供も三人いましたが、幸せな人生を送っていませんでした。彼は若い時に地元の女性と恋に落ち、婚約までしたものの、裕福な上流階級の女性との政略結婚を強いられました。彼は酒とギャンブルに溺れ、資産を食いつぶしていきました。一方、妻は、子供たちはウォルターの子ではないと、日々彼を愚弄しており、彼自身命の危険を感じていたようです。

 

そして、1605423日、彼はついに幼い息子たち二人を手にかけてしまいます。妻も刺されましたが、コルセットのおかげで刃が急所をつく事なく、命拾いをしました。彼はまた、止めに入った召使いを階段から突き落とし、馬に飛び乗って、離れた場所で乳母と一緒にいた三人目の子供を殺害しに向かいました。その途中で彼は捕まり、死刑になりました。

 

この事件の内容は、その後1608年に『ヨークシャーの悲劇』という名で舞台化されています。この戯曲はシェイクスピアの名前で出版されていましたが、現在は、トマス・ミドルトン作だと考えられています。

 

Yorkshire_Tragedy_1608_TP (public domain)

 今回見つかった魔除けのアイテムは、その事件からそう時間がたたないうちから置かれているので、事件の影響が強かったのではないかと思われます。亡くなった子供達の祟りか、ウォルターの幽霊かが、何か悪い事を引き起こすと考え、それから身を守ろうとしたのかもしれませんね。

 

 

「魔女の瓶」とは?

 

さて、では「魔女の瓶」とは一体何でしょう?

 

「魔女の瓶」が最初にイギリスの考古資料に現れるのは17世紀前半だそうです。ただし、最初のころは「魔女」と「瓶」という言葉は同じ文中に使われていましたが、「魔女の瓶」という表現が最初に使われたのは1845年だそうです。

 

それは通常陶器製で、中には人間の尿や髪の毛、そして鉄製のピンや釘が入っています。植物の棘や布切れや小さな骨が入っていることもあります。

 

魔女の瓶と中身
魔女の瓶とその中身 Moyse's Hall Museum

 

病気の治療法

 

17世紀後半になると、「魔女の瓶」の使用法が様々な出版物で見られるようになります。星辰医者Joseph Blagraveは、1671年に出版されたAstrological Practice of Physick』の中で、魔力によって苦しんでいる人の治療法の一つを、次のように書いています。

 

「…患者の尿をとり、それを瓶にいれ、釘またはピンか針を3つ、尿の温度を保つために少量の白塩とともに入れる」

 

こうしておくと、魔女が用を足す時に激痛に悩まされ、魔女の生命を危険にさらし、よって呪いを解くことができると考えられていたようです。そして、その痛みゆえに、その人が魔女だと暴露されるそうです。

 

要するに、瓶を膀胱にたとえており、尖った金属が魔女の膀胱を突き刺すと考えているのですね。金属だけでなく、植物の棘や骨、尖った木片も使われていたようです。髪の毛や切った爪、布切れは、尿と同様、その被害者を象徴しているのではないかと思われます。これは日本でいう藁人形に五寸釘を打ち込むのと同じで、物を介して間接的に災いをもたらす方法なのです。

 

A witch at her table being helped by her attendant they are surrounded by various bottles, mortars and jars. Etching by W. Unger (Public Domain) Wellecome Collection

 

魔除け

 

家に隠された魔除けの研究者ブライアン・ホガードは、発見された魔女の瓶の半数ほどが暖炉の近くで見つかっており、その他も入り口の近くや壁の中から発見されていることから、家に侵入してきた悪霊が、その瓶の形や臭いから当人だと思い込み、その人でなく瓶にとり憑くようにしたのではと述べています。以前に書いた使い古した靴と同じですね。それを考えると、この場合は呪いから事前に身を守るため、もしくは悪化しないように使われたのではないかと思います。

 

 

埋められた瓶

 

魔女の瓶は、家に隠されただけでなく、地面にも埋められました。1681年に出版されたJoseph Glanvilによる『Sadducismum Triumphatus』には、次のような話が載っています。

 

あるところに男がおりました。彼の妻は、鳥のようなものに取り憑かれて衰弱していました。そこに旅人の老夫が来て言いました。妻の尿をピン、針、釘と共に瓶にいれ、コルクでしっかりと蓋をしてからそれを火にいれなさい。夫は早速試してみました。暖炉用のシャベルでコルクを押さえるよう言われましたが、ふとした拍子にコルクが飛び、中身が飛び出してしまいました。妻の容態はよくなりませんでした。

 

その旅人は再度その夫婦のもとを訪れ、その結果を知ると、こう言いました。前回と同じように妻の尿をピン、針、釘と共に瓶にいれ、コルクでしっかりと蓋をしたら、今度はそれを地面に埋めなさい。夫が言われた通りにすると、妻は徐々に元気になっていきました。

 

その夫婦のところに、彼らの家から何キロか離れたところに住む女が訪ねてきて、彼らが彼女の夫を殺したと泣きわめきました。夫婦はその女にもその夫にも面識がありません。実はその女の夫は魔術師で、夫婦の妻に呪いをかけたのはその人だったのです。旅人のおかげでその呪いが跳ね返り、その魔術師を殺してしまったわけなのです。

 

この事例では、呪いを受けた者がそれを解くために使っています。これと似たような話は1670年頃に発表されたバラードにもなっていたので、この方法が一般に広く受け入れられていたことがわかります。

 

 

「魔女の瓶」の変遷

 

魔術魔法博物館(Museum of witchcraft & Magic)副館長のピーター・ヒューイットは、「魔女の瓶」は1850年ぐらいから様々な形態に変わっていったと述べています。

 

Boscastle-20040414-MoW by JUweL (Wikimedia Commons)
 

その一つは、悪霊を捕え閉じ込める役割です。オックソフォードのピットリバース博物館にある瓶を1915年に寄付した女性は、「この中には魔女が入っており、もし魔女を出してしまったらいろいろな問題が起こると言われている」と言っていたそうです。魔女を捕まえ閉じ込めるという話は、靴の時に書いた悪魔を捕まえたジョン・ショーンの話に通じるものがあります。

 

魔術魔法博物館の創設者セシル・ウィリアムソン(1909-1999)は、魔術を行う側からリサーチを行いました。1970年代に彼に書かれたキャプションには、魔女の瓶は魔女によって使われ、被害者のものを瓶に入れて、隠したり、埋めたり、川や湖など水のあるところに投げ入れたりすると書いてあります。ですから、少なくとも19世紀か20世紀には、魔女側と被害者側と、どちらの目的でも使われていた可能性があります。

 

瓶も陶器だけでなくガラスも使われるようになり、また、目的も呪いだけでなく、恋愛成就にも使われていたようです。

 

Witch_Bottles_Curse_Protection From Mal Corvus Witchcraft & Folklore artefact private collection owned by Malcolm Lidbury (aka Pink Pasty) Witchcraft Tools (Wikimedia commons)

医学と魔術の境界が曖昧だった時代、「魔女の瓶」は病める悩める人々に希望をもたらしたのでしょう。そして、このように、呪いを解くものから、魔女を閉じ込めたり、様々な魔術に使うものへと、時代と共にその使い方は変化していったようです。

 

 

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<参考文献>

 

Blagrave, Joseph, 1671, Astrological Practice of Physick (S.G. and B.G for Obad. Blagrav)

Glanvil, Joseph, 1681, Sadducismum Triumphatus (A.L.)

Hewitt, Peter, “Witch Bottles: Finding from the Museum of Witchcraft & Magic”, in Hidden Charms 2: Transactions of the conference 2018 ed. by Billingsley, John, Harte, Jeremy, and Hoggard, Brian (Northern Earth)

Hoggard, Brian, “Evidence of Unseen Forces: Apotropaic Objects on the Threshold of Materiality”, in Hidden Charms: A Conference held at Norwich Castle April 2nd, 2016, ed. by Billingsley, John, Harte, Jeremy, and Hoggard, Brian (Northern Earth)

Kirwan, Peter, "A Yorkshire Tragedy, first edition," Shakespeare Documented, https://doi.org/10.37078/217.

Shakespeare, W, 1608, A Yorkshire Tragedy (R.B.)

Thwaite, Annie, “What is a ‘witch-bottle’? Assembling the textual evidence from early modern England”, National Library of Medicine  Magic Ritual Witch. 2020 Fall; 15(2): 227–251.

 

Landmarktrust ウェブサイト